MILESTONES

考えつづけるための備忘録

「帰りたいけど帰れない」 孤老たちをまなざす

某ゼミで、NHKアーカイブスに収録された以下3つのルポルタージュ、ドキュメンタリーを観た。

個人的には、1つめの「『帰りたいけど帰れない』 ―釜ケ崎の孤老たち―」が特に印象深かった。この番組は、1950年代から80年代にかけて、大阪のあいりん地区(通称「釜ヶ崎」)をフィールドに写真家として活動してきた井上青龍が、1980年代初頭に同地区で生活する高齢者たちに話を聞く様子を記録したものだ。

そうした高齢者のうちのひとりの男性は、長らく顔をあわせていない故郷の家族への手紙をしたためながらも、それを送ることができていない。井上が読みあげた男性の手紙の文面には、次のような言葉が含まれていた。

「まだ、ひとさまの迷惑にはなっておりません。」

故郷から離れたドヤ街でひとり、決して豊かとはいえない生活を送りながらも、みずからの家族にたいし、他人の世話になっていないことを弁明する。いったい何が彼にそうさせるのだろうか? なぜ彼は、他人の世話になっていないことをことさら誇示しなければならないのだろうか? 逆にいえば、なぜ彼にとって、他人の世話になることは誇らしくないこととされているのだろうか? ここには、とりわけ日本における福祉なるものを考えるうえでの重要な問いがあるように思われる。

番組のナレーションも務める井上は、こうした高齢者たちの生活を目の当たりにしながら、次のように話す。

「ある条件がそろえば、俺もこうなってしまうという危機感がいつもある。」

あいりん地区で長らく活動してきた井上にとって、そこで暮らす人びとの「こう」した生活のありようは、ある種の条件のもとで必然的にもたらされた、ある意味で合理的な結果である——つまり人びとの不合理な選択の結果ではない——ようにみえるということを、この発言は示しているだろう。

 

黄色いおじさん

私が住んでいる町の街中には、黄色い服を着たおじさんがいつもたくさんいる。

彼らは、路上に停められた自転車を見つけてはシールを貼り、しばらく時間が経つとその自転車をトラックに乗せて撤去してしまう。この意味で、自転車を使う人びとにとって彼らは天敵である(自転車は駐輪場に停めればよいと思われるかもしれないが、多くの人にとって、ちょっとした用事のためにわざわざ目的地から距離が離れた駐輪場に自転車を停めに行くのは大変億劫に感じてしまうのである)。実際に私も数回ほど、おじさんたちの手によって自転車を撤去されたことがある。

今日も今日とて、私は駅前のうどん屋の前の路上に自転車を停め、のんびりとうどんを食べていた。食べ終わって自転車のところに戻ると、ちょうど件の黄色いおじさんのひとりが自転車を動かしているところだった。

黄色いおじさんのなかには、路上駐輪をした人にたいして嫌味を言ったり、叱責してきたりする人もいる。「ここに駐輪禁止って書いてあるよね? ね?」と詰め寄っているおじさんの姿をこれまで何度か目にしたことがある。

そうした諸々を思い出し、気まずいなあと思いつつ、私は「それ、僕の自転車です」とおじさんに声をかけた。おじさんは、「ああ」と言って、私に自転車を譲り渡した。私はそそくさと、自転車に貼られたシールをおじさんの眼の前で剥がす。おじさんが嫌味を言う隙を与えてはならないと思ったのだ。

すると、おじさんは「飲んできたのかい?」とおもむろに私に声をかけた。嫌味や叱責の言葉が飛んでくるのを半ば予想していた私は拍子抜けしつつ、「いえ、そこのうどん屋でうどんを食べてました」と、うどん屋の入り口を指差した。

「おお、そうかい。このうどん屋っていつできたっけね?」とおじさんは再び私に問いかける。「去年の年末くらいですかね」と私が答えると、おじさんはさらに話をつづけた。「僕もね、ここのうどん屋にはよく行くんだよ。××市(=私が住む町であり、私とおじさんの2人がそのときいた町)のではないけどね」「ここのうどん屋のセットメニューがあるじゃない? 650円くらい? アレをよく頼むんだよ」とおじさんは立て続けに話した。黄色いおじさんとこうした会話をした経験があまりない私は戸惑いつつ、「そうなんですか、安くていいですよね」などと、おじさんの話に相槌を打った。

話に一区切りがついたように思われたところで、私はそこから立ち去ろうと、「それじゃあ、お疲れ様です」と声をかけた。するとおじさんは、「うん、どうもね」と応えた。ちょっと歩いてからうどん屋の前のほうを振り返ると、おじさんはすでに反対方向に向かって歩いて行ったらしく、その姿はもう見えなかった。

私は歩きながら、黄色いおじさんとの会話について考えていた。路上駐輪という「ルール違反」を犯した者にたいして高圧的に対応してくるのがあの黄色いおじさんたちの通常のふるまいだと思っていた(だからこそ、私は彼らにたいして敵対心のようなものを抱くこともあった)。しかし、今回会ったおじさんは、驚くほど楽しげに私に話しかけ、さらには「どうも」という感謝の言葉のようなものを告げたのであった。なぜ彼はあんなに私に楽しげに、また親しげに話しかけてきたのだろうか。

一方で思ったのは、彼らは私たちが考えているほど、「黄色いおじさん」の役割を演じているわけではないということである。私たちは彼らを「自転車を撤去する(迷惑な?)人たち」とみなしているが、彼らは、たとえそのとき黄色い服を着ていようとも、自分たちをそのようにはみなしていないかもしれない。

他方で、今回私に話しかけてきたおじさんは、ただ誰かと話したかったのかもしれない、とも思えた。こちらが驚くほど親しげな口ぶりからは、他人と会話することのよろこびのようなものが感じられた。これは極端な推測かもしれないが、彼は普段それほど他人と話す機会がなく、もしかすると今日の私との会話は彼にとって久しぶりの会話だったのかもしれない。

あの黄色いおじさん、またおじさんたちは、一体どのような人たちなのだろうか。黄色い服を着ていないとき、彼らは一体どのような人たちなのだろうか。そして何より、なぜ彼らは黄色い服を着ているのだろうか。

歩く私の頭のなかには、こうした疑問が渦巻いていた。このとき、私にとって黄色いおじさんは、「敵」ではなく、かといって無関心のなかに没落するわけでもなく、ともにこの社会で生活しているひとりの人になっていた。