MILESTONES

考えつづけるための備忘録

「帰りたいけど帰れない」 孤老たちをまなざす

某ゼミで、NHKアーカイブスに収録された以下3つのルポルタージュ、ドキュメンタリーを観た。

個人的には、1つめの「『帰りたいけど帰れない』 ―釜ケ崎の孤老たち―」が特に印象深かった。この番組は、1950年代から80年代にかけて、大阪のあいりん地区(通称「釜ヶ崎」)をフィールドに写真家として活動してきた井上青龍が、1980年代初頭に同地区で生活する高齢者たちに話を聞く様子を記録したものだ。

そうした高齢者のうちのひとりの男性は、長らく顔をあわせていない故郷の家族への手紙をしたためながらも、それを送ることができていない。井上が読みあげた男性の手紙の文面には、次のような言葉が含まれていた。

「まだ、ひとさまの迷惑にはなっておりません。」

故郷から離れたドヤ街でひとり、決して豊かとはいえない生活を送りながらも、みずからの家族にたいし、他人の世話になっていないことを弁明する。いったい何が彼にそうさせるのだろうか? なぜ彼は、他人の世話になっていないことをことさら誇示しなければならないのだろうか? 逆にいえば、なぜ彼にとって、他人の世話になることは誇らしくないこととされているのだろうか? ここには、とりわけ日本における福祉なるものを考えるうえでの重要な問いがあるように思われる。

番組のナレーションも務める井上は、こうした高齢者たちの生活を目の当たりにしながら、次のように話す。

「ある条件がそろえば、俺もこうなってしまうという危機感がいつもある。」

あいりん地区で長らく活動してきた井上にとって、そこで暮らす人びとの「こう」した生活のありようは、ある種の条件のもとで必然的にもたらされた、ある意味で合理的な結果である——つまり人びとの不合理な選択の結果ではない——ようにみえるということを、この発言は示しているだろう。